こんばんは。佐々木です。

それでは今日は、メール講座を読まれて、
より深く知りたい・・・と思われる方へ、
私の思いを綴りました。

どうぞ心静かに、読んで頂ければ幸いです。


いつもよりも少し長めになりますが、
よろしくお願いいたします。




昭和53年、埼玉県に生を受けた私は、一人っ子であったこともあり、
いわゆる「おぼっちゃま育ち」と周りからは言われて成長しました。

今となっては書くのも恥ずかしいことですが、
遊びたければ友達と遊び、のんびりしたければ家でのんびりする、という
かなり自由気ままな生活を送っていました。

小さい頃から何かにつけて飽きっぽかった私は、いつも落ち着きがなく、
1つのことをじっと集中して最後までやり遂げるのが苦手で、
これも飽きた、あれも面倒くさい・・・といってはいつも両親を困らせていたのです。

小学校、中学校と過ごし、高校生になっても、
それは全く変わりませんでした。

そんな平成7年1月17日の早朝、高校1年の冬休みでした。
あの阪神大震災が起きたのです。
平凡な日常のまどろみが、あまりにもあっけなく破られる現実を
目の前につきつけられました。

毎日のニュースはそのことばかり。
ところが間もなく、さらに世間を揺るがす事件が起きたのです。

3月20日、地下鉄サリン事件。
地下鉄の出口に、次から次へと救急車やパトカーがかけつけ、
たくさんの人が担架で運ばれている様子を、
ヘリコプターから撮影された映像とともに、
緊迫したアナウンサーの声が伝えていました。

人生の価値を求めている若者を殺人者にまで変えてしまう「宗教」とは
何と恐ろしいものか、まざまざと知らされたのです。

そしてその年の11月のある日、朝食を終えた父が、
食器を片付けようとした時でした。

突然、立ち上がることができなくなってしまったのです。
右下半身に血液を送る血管が詰まってしまいました。

家族で一番健康で、大病を患うことはなかろうと言っていた父が、
まさか、突然右足の自由がきかなくなるとは・・・

父の入院先の病院を出て見えた夕暮れは、
不安の色に染まっていました。

今も忘れることができません。





いくら恵まれていても、必ず見捨てられる時はやってくる・・・
どんな幸せも続かないのではないか・・・・

そんな思いが心を占領し、不安が胸を覆う日々が続きました。

やがて父の病気も回復し、大学受験を来年に控えた冬のある日、
父の友人が家にやってきて、夕食を共にしていました。

その時父の友人が、酒に酔った勢いで、
「おい、お前は将来何をやりたいんだ?」、
と尋ねてきたのです。

私は、とりあえず大学に行って、4年間で
考えることにしていると答えました。

するとその人は、酔っ払った真っ赤な顔で、
語勢を荒げて言ったのです。
「お前、そんなこと言ってちゃいけない。
両親を心配させちゃいけないぞ。
早くやりたいことを決めて、それから大学行くんだ。」

私は、その場は引き下がりましたが、
かねてからの疑問がより大きくなったのです。

それは、何をやったら、本当に後悔しない人生になるのか?
生きてゆく時に、一番大切なことは何か?

どう生きても人生は一度きり。
こんな重大な問いを、とりあえず決めてしまえと言うが、
そんな簡単に答えが出るものか・・・ 

疑問はいよいよ大きくなり、眼前に迫ってくるのです。

受験を終え赤門くぐった安堵感も束の間、
少しもその疑問は晴れませんでした。

ところが、桜舞う平成9年4月、転機が突然やってきました。

このメール講座の一番最初に書いた、
「天上天下唯我独尊」の本当の意味を知ったのです。


驚きました。
そもそも仏教といえば、私は何も知らず、
高校の倫理の教科書を読んだだけで、
難しい理屈とばかり思っておりました。

それが、どんな人も、生きている時に
「本当の幸せ」になれる教えであったとは・・・

欲と怒りと愚痴に命を捨てて生きてきた私でしたが、
今度こそ、「本当の幸せ」に生きられる道を知ることができた・・・

そして、深く学ぶほどに、私がそうであったように、
仏教の「ぶ」の字も知らず、人生の答えを探し求めている人に、
この真実お伝えしたい・・・

そう思うようになったのです。




あれから、15年以上。
今は講師として、日本各地で、
いろいろな方とのご縁を頂いて参りました。

当時、それまで知りたかった人生最大の問題の答えを知ることができた
その喜びはもちろんのこと、
中でも、私は「布施の精神」をお釈迦様から学び、
今までの私の人生がうまくゆかなかった原因は、
まさに、ここに原因があったのだとも、同時に知らされたのです。

「光に向かって進めば影がついてくる」と言われます。

「本当の幸福」を求めてお釈迦様の教えを聞き続けるままが、
日々、因果の道理に従って布施の精神を実践してゆくことで、
どんどんと生活が変わり始めました。

仏教では、聞くことと共に、日々の生活の中で、利他の精神を
実践することが、とても大事だと言われます。

高校までの私は、友達も少なく、誰か見ず知らずの人に声をかけるなど、
とてもできない人でした。

学校に行ってもほとんどクラスメイトとも話をせず、
気の合う友人数人とだけ、会話して帰ってくるだけでした。

それどころか、人前で話すなど、
すぐに緊張して、とてもできなかったのです。

そのため、友人の輪も広がらず、
どちらかというと、暗い部類に入っていました。

それが仏教を聞かせて頂くようになり、
かれこれ、15年以上、これまで
相手の悩みをじっくり聞きながら、
いろいろな方とお話してまいりましたが、
その人数は、ゆうに、1000人を超えます。

最近では、東京や名古屋などで講座に立たせて頂くご縁も増え、
全国、また、アメリカ、ブラジルなどにも知り合いの方が増え、
今年は何度か、数千人規模の会場で、お話させて頂くご縁もありました。

ひとえに、お釈迦様の教えのおかげ、
そして、温かく仏縁深い皆さんに支えて頂き恵まれていることに
感謝せずにおれません。





正直、お釈迦様の教えを聞き続けること、またお伝えするのは、
決して簡単なことでなく、途中でもうやめてしまおうかと思っていたことも
何度もありました。

しかし、ここまで続けてきて、本当によかったと今は思っています。
この継続がなければ、今の私は無い・・・そう、今は断言できます。

「深い川は静かに流れる」と言われます。
真実は、すぐにはわからないものです。

薄っぺらの表面的なものは、
すぐ、「これだ!」と飛びつきますが、
すぐにメッキが剥がれてしまいます。

一方いつでもどこでも成り立つ真実は、なかなか判りませんが、
その力は、長い間をかけてじわじわと、深く静かに知らされてくるのです。

お釈迦様は、廃悪修善の実践を一切経通じて勧めておられます。

これは、決して、
1日1時間、3ヶ月で100万円ですよ、などといううまい話では
決してありません。

それどころかその対極なのです。

でも、一晩で手に入れたものは、また、一晩でなくなってしまうもの。
そして、形あるもの皆崩れます。

私の友人でも、就職当時は、いい所に勤められたと喜んでいても、
数年経つと、笑顔が消え、最近大変だよ・・と
元気なくしている人をたくさん見てきました。

中でもショックだったのは、リーマン・ブラザーズの倒産でした。
務めの会計士が、ビルに出勤した時、突然入ることを
拒まれたというのです。

勤め先の自分の事務所がそのビルの中にあるのに、
入ることさえも許されない・・・

諸行無常の仏説は、かくまで厳しいものかと知りました。

そんな時、「本当の幸福」を説かれたお釈迦様の教えを聞かせて頂き、
お伝えできる自分は、確かに、いろいろ辛いことはありましたが、
今は、本当に幸せだと感じるのです。





さすがに、苦労知らずで、あきっぽく、努力を続けることが苦手であった私も、
世間で揉まれるうちに、お釈迦様の教えに実践により、
徐々に、因果の道理を深く知らされ、
苦しんで積み上げたものしか、結果は出てこないという当たり前の事実が、
だんだんと知らされてきました。

そして、そんな私の15年以上の学びと経験の中から生まれてきたのが
このたびのメール講座でした。

わずか8回のメールといえばそれまでですが、
この中で、これまで直接お話ししていた時には、
10時間ほどかけていた内容を、
8回のメールに凝縮しました。

実際、それほどまでに、密度の濃いものをお届けした自負はあります。

この8回のメール講座の内容を理解されたら、
はっきり言って、そんじょそこらの、仏教聞きかじっている人より、
よっぽど、教えの要を理解されているはずです。

学びは、「量」も大事ですが、
やはり、「要」が抜けては、理解の「質」が下がることは否めません。

そういう意味で、ここまで読まれた皆さんには、
他にないものを得ておられるという自信があります。

そして今日からは、メール講座でお釈迦様の教えの輪郭を理解され、
より一層深く理解されたいという方と、
共に、より深く学ばせて頂きたいと思っております。

その1つのきっかけが今回ご紹介致しますオーディオ講座です。




ちなみに、これは全く派手さはありません。
淡々と、お釈迦様の教えをお話して参ります。
人によっては、最初は、つまらない、と思われるかと思います。

さらに、何か、これまでと違った内容の珍しい話が聞けると、
もし思っておられたら、そういうことも、ありません。

これは、私が実際に講座に立つ時に
常に心がけておることであり、また、
我々の先哲が常にそうしてこられたのです。

私も尊敬する浄土真宗の祖師と仰がれる親鸞聖人は、

「更に親鸞珍しき法をも弘めず、如来の教法を我も信じ
人にも教え聞かしむるばかりなり」
を常に訓じておられたと、伝えられております。

この親鸞が伝えていることは、決して珍しい教えは
ありませんよ、と言われているのです。

これまで、誰も説かれなかった教えであれば、
珍しし教えでしょうが、親鸞聖人の伝えられた教えは、
そんな珍しい教えは何もなかったのです。

では、どなたの説かれた教えを伝えられたのですかと、尋ねると、
それは、「如来の教法を我も信じ、皆さんにも教え、
伝えているだけである」との仰せなのです。

「如来の教法」とは、今から、2600年前、
インドで活躍なされた釈迦如来(お釈迦様)の教えのことで、
今日「仏教」と言われます。

親鸞聖人は、お釈迦様の教えを自らも間違いなかったと
知らされて、人に教えてゆかれた方だということがわかります。

「ばかりなり」とは、大変に強い言葉で、
これだけなんだ、これ以外にない、ということです。

また歎異鈔には、「親鸞更に私無し」とも書き残されています。

「浄土真宗」と聞きますと、何かお釈迦様の教えと違う、
珍しいことを教えてゆかれたのだろう、と思われますが、
そんな珍しい教えは何もなかったのです。




そのお釈迦様の教えの根幹が「因果の道理」ですから、
オーディオ講座では、まず「因果の道理」について、
詳しくお伝えしてまいります。

・なぜ私達の人生は、あっという間に過ぎてゆく理由
・短い人生、後悔しないための日々の心の持ち方
・私達のすぐ近くにある、身近な仏教の言葉にこめられた意外に深い意味
・苦しいことがやってきた時、辛い気持ちを癒やす方法
・「お釈迦様の教えは、2600年前のインドで説かれた教えだから、
今の日本では通用しないのでは」という人がありますが本当?
・お釈迦様の教えを知る上で、これを抜かしては一切判らない教えの「根幹」
・私達の運命は、何によって決まっているのか?
・「正直者がバカを見る」というのは本当か?
・「他人にバレさえしなければ、悪いことやっても平気」というのは本当?
・「努力は報われる」というのは、本当?  など・・・



そして、その結論は廃悪修善ですので、
中でも、お釈迦様が詳しく教えておられる
「布施」について、次に学んでゆきます。

・どうして親切は大変なのか?
・「乏しき時与えるは富みて与えるに勝る」とはどういうこと?
・口や、身体よりも、心で思うことが大事なの?
・布施をする時に、忘れなければならない3つのこと
・布施をする時、相手が重要ってどういうこと?
・聖徳太子が十七条憲法に教えられた「和」する秘訣
・意見が衝突した時に、心がけたい教え
・まず相手の意見を聞くことが大事    など・・・



そして、最後に、お釈迦様の教えの根幹を学んだ上で、
お釈迦様の明らかにされた「本当の幸せ」とはどんなことか、
そして、そこまでの道程はどうなっているのか、
メール講座の内容を、より掘り下げて学んで参ります。

・すべての人の心に棲む3つの鬼
・私達が幸せになれる6つのたねまき
・幸せは続かない?
・「仏」っていったい何?
・「さとり」って言いますが、一体何をさとるの?
・お釈迦様はどうして、出家されたの?
・本当の幸せになれる一本道は?    など・・・・



大きく分けて、以上の3つにパートに分かれます。





1回の講座は約30分、週に1回で、10回お送りします。
あわせて、メールマガジンでのサポートも送らせて頂きます。

もちろんご自宅のパソコンで聞いて頂くことができますし、
スマートホンで、通勤時間や車の運転中、
あるいは、ジョギングされながら、
家事をされながらでも、聞いて頂くことができます。

落ち着いてカフェでの時間を過ごして頂いている時に
聞かれることもできます。

いつでもどこでも、ライフスタイルにあわせて、
お釈迦様の教えを、より深く、
基本的なところから知って頂くために、
音声と、メールマガジンでのサポートをして参ります。

そして現在準備中ですが、一部、映像も含めた、
動画配信も計画しております。

常によりよいクオリティを目指して、
今も、順次アップデートしておりますので、
今回の募集で受講される皆さんには、
これまでの方よりも、さらに質の高いものをお届けすることができると思います。

講座を聞かれて判られない点については、何なりと
何回でもメールでお尋ね頂けますし、
さらに、それでも解決されない問題点については、
スカイプでのご相談も、ご希望とあれば、
応じさせて頂きます。


ちなみに、受講料についてもご質問を頂き、
これが何かのビジネスや趣味の学びの講座であれば、
当然定価がつきますが、お釈迦様の教えの2600年前からの伝統に基いて
このたびは一切、今回はそのようなものはありません。

その方その方が教えを聞かれて、心に受け取られた分だけの、、
お気持ちを、自由に布施される。

これはメール講座の中でもお伝えしたとおりです。
それが、2600年間、連綿と受け継がれてきた伝統です。

私の先生もこれまで常にそうして来られましたし、
私がいつもさせて頂く講座でも当然それは変わりません。


とはいえ、それでは全く想像もつかず、これだけ読まれて、
戸惑われる方もありましょうから、
念のため、ご参考までに申し上げておきますと、
講座は、たいてい2時間枠の中に休憩時間や質疑応答を含め、
約40分1コマの講義を、休憩を挟んで2コマということが多いです。

東京や名古屋などで話をさせて頂いた時には、
1回の講座で、1000円、2000円ほどのお布施をされる方が
多かったでしょうか。

ですから、本来目安というものさえ無いのですが
どうしてもそのようなものを知られたいと思われる方は、
ご参考になさって頂ければと思います。


今日から3日間のお申し込みをお受け致します。
その後も、しばらくお受けする可能性がありますが、
サポートのキャパシティがありますので、
今日から3日目の24時以降は、
お断りさせて頂くこともありますことをご了承ください。


お申し込みされた方に、
メールにてお布施のお振込先をご案内致します。










今回お届けするオーディオ講座は、
時間と場所の制約は、ほぼ0に等しく、
ネット環境さえあれば、パソコンやスマートホンで
通勤時間や移動時間でさえも聞いて頂けるという
時間をかけて寺などに出向いて聞きにゆくのが常識であった
仏教の歴史上においては、非常に画期的です。


お布施のお申し込みただ1つの条件といえば条件ですが、
金額に定めはありませんので、
ほとんど無いに等しい条件とも言えましょうが、
これまでメール講座を読まれての、今のお気持ちで、
お布施については自由に、お書き頂ければ、
すぐに、オーディオ講座をお聞き頂くことができます。


たくさんのご感想も頂いておりますので、
ご参考になさってください。

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■何回も繰り返し聞くことができるのもオーディオ講座の魅力です


こんにちは(^-^)
オーディオ講座聞きました☆

今週の火曜日から仕事始まったので、バタバタしてましたが、
家に居る時にいつでも何かしら家のことしながらでも聞けるのがいいですね!

何回も繰り返し聞くことができるのもオーディオ講座の魅力です(*^^*)

内容がしっかり頭に入るように繰り返し聞かせて頂きます!

身体には気を付けて下さいね☆

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■それだけ思いが詰まったオーディオ講座なので・・・


ご苦労様です。

今、2回目制作中なんですね!
30分に簡潔にまとめなければならないですし、
ずっと残るものなので本当に大変だと思います。

それだけ思いが詰まったオーディオ講座なので、
2回目も楽しみにしています(*^^*)

より理解が深まりました(^-^)

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■できていることに目を向けて気持ちの切り換えをしてみます。


自分の選択で変わる。私は変わるために選択を変えたのに、
そのことを忘れていました。

仏教を学んで少しでも自分にできることを実践していくことで、
私たちは報われる努力をしているのですね。

なんか、先週で燃え尽きてしまって、
疲れたという思いだけになっていて、
外に出て何かをしようとすると熱が出るように感じて、
生きるってしんどいなって思ってました。

やらなきゃいけないことは沢山あるのにその全てから逃げ出したくなってました。

体調が悪くなると本当にマイナスな方向にしか考えられないものですね。

いっぱい学んできたのにできていない自分を責めてばかりいたので、
体調悪い中少しでもできていることに目を向けて気持ちの切り換えをしてみます。

そうすれば風邪も早く治ると思います。
気持ちが頑張れなかったので、頑張れないなりにできることをやってみます。

一人でも多くの人がオーディオ講座を受講されますように☆

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■わかったことつもりで忘れてしまう・・・
やっぱりちゃんと聞き続けなければいけないなと思ったのでした。


オーディオ講座の配信、ありがとうございます。

先週から今週にかけて忙しく、なかなか聞くことができませんでしたが、
やっと聞くことができました。

自分に起きる結果の一切は、自業自得。

これは、とても厳しい教えだと思います。

因果の道理は、シンプルですが、難しいですね。
必ず感情が邪魔をします。


ただ道を歩いていただけで、側を走り去った車に水をかけられ、
びしょびしょになった時は、これも自業自得ですか?私が悪いの?と、
かなり悶々としました。

自分は歩道を歩いていただけですから、運転手さんは悪くなくて、
そこをその時歩いていた自分が悪かった、とは、どうしても思えませんでした。

そういう結果を受ける種を過去にまいていた、ということですよ、
と教えていただいてから、納得しました。

水をかけるという行為なら、いくらでもやっていた、
むしろ、服が濡れる程度で済んでよかったのだ、と。

庭で水遊びをしていて、きっとたくさんのアリや虫を水死させていたでしょう。
津波で死ぬ種を、自分も持っているのだと知りました。

高校生の頃、試合会場のプールで大勢で泳いでいた時、
息を吸ったタイミングでいきなり大きな波を受け、
吸うことも吐くことも全くできずに、本当に死ぬかと思ったことがありましたが、
あの時死んでいてもおかしくなかったんだと知りました。

確かに、忘れているだけで、確実に種をまいていました。

でも、まいたことにも気がついていない悪因が、あるのですよね。
自覚したものなど氷山のほんの一角、自覚した悪因でさえも、
その恐ろしさは全くわからないのですから…

私が一番恐ろしい言葉は、業力不滅、です

わかったことつもりで忘れてしまう=わかっていないということで、
やっぱりちゃんと聞き続けなければいけないなと思ったのでした。

それでは、またメールします。

どうぞご自愛くださいませ。


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■合点がいくまで聞いて、「本当の幸せ」を知りたいです。


こんばんは。

遅くなりましたが、一回目のオーディオ講座の感想をお送りさせていただきます。

仏教は聴聞に極まる。
耳が頼りですので、聞こうとする意識、集中力は、
普段よりも格段にアップしていました。

ですが、それでもやはり、聞き逃すことも多く、
何回も聞き直すことが大切だなと思います。

人生はマッチ箱のようなもの。
これだけを聞いても、私はピンとこなかったのですが、
取り扱いを間違えると大変なことになると聞いて、なるほど、と思いました。

人生はあっという間、本当に短い。
それは、自分の人生を振り返ってみて、本当にそうだなぁと思います。

四人の弓の名手と、足の早い男の話ですが。
あれは、弓が地面に落ちる前に弓をすべて回収する男の足の速さよりも、
人生は早く過ぎ去ってしまう。ということですよね?

一息切れたら後生。
でも、とても自分が死ぬとは思えません。
思えたとしても、「いつかは死ぬ」「今夜死ぬことがあるかも?」が関の山で、
やっぱり自分が本当に死んでいくとは、思えないままです。

我が身に起きる一切のことは、自業自得。
でも、自分が悪かったとは、とても思えないことは、よくあります。
自分も悪いけど、相手も悪いじゃないか。そんなふうに思います。
でも、自分以外のせいにしても、何にも解決しないことも、わかります。

理屈はわかっても、自分のこととなると、もうわからなくなります。
でも、幸せは他にないと、何となくわかります。

だから、厳しくても、合点がいくまで聞いて、
「本当の幸せ」を知りたいです。

──────────────────────────────







今日から3日間のお申し込みをお受け致します。

お申し込みされた方に、
メールにてお布施のお振込先をご案内致します。



また、仏教の教えは、私達日本人が多いに学ぶべき、
大変に優れている教えであることを、
各界の先人、知識人の言葉から知ることができます。



■私は、いつも簡単な仏教の本をもって歩き、飛行機のなかであろうと、
どこであろうと、閑があれば読んでいます。
そのくらい繰り返し読んでいても、すぐに忘れてしまい、
なかなか実行できません。
それでも、そうでなければならないと思い続けること、
毎日心がけることが大切だと私は思っています。
六度万行は、普通の人間が生きるための知恵として、
ぜひ取り入れるべきだと私は信じます。  (稲盛和夫)



■仏教の教えでは、苦難は人の成長と心の平和に欠かせない要素だ
とみなされている。
(『小さいことにくよくよするな』、
全米500万部、世界30カ国語に翻訳されたベストセラー。
心理学者で、臨床セラピストのリチャード・カールソン著、
Richard Carlson 1961~2006)


■仏典って、僕にとっての新しいモノサシになってる。
それでいて僕の歌がジジくさくならないのは、
仏典がいつまでも古くならない“魂の設計図”だからだと思う。
(シンガーソングライター・槇原敬之)



■仏教的な考え方こそ未来を開く答えだと思う。
(アメリカの詩人、アレン・ギンズバーグ、Irwin Allen Ginsberg,1926-97)



■人口知能の開発には、当然、人間の心の構造の研究が大切になる。
現在の心理学は、十分に教えていない。
ところが、仏典には詳しく説かれていた。
釈尊は実に優れた心理学者だ。
コンピューター開発に、仏典が比類なきテキストになる。
(人口知能の専門家マサチューセッツ工科大学のマービンミンスキー教授)



■西洋科学へは東洋思想の輸血を必要としている。
(シュレデンガー、Schrodinger 1887~1961)


■現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれるものがあるとすれば、
それは仏教です。
これには神というのは一切出てこない。最も進んだ宗教が仏教だ
(アインシュタイン)



■私は公平に、どの点から見ても、世界で最大の偉人は、仏陀釈迦牟尼仏である。
(歴史家でありSFの父 H・G・ウェルズ、Herbert George Wells, 1866~1946)



■仏教は、歴史的に見て、ただ一つのきちんと論理的にものを
考える宗教と言っていいでしょう。
キリスト教に比べたら、仏教は100倍も誠実で客観的な宗教です。
(ニーチェ、Nietzsche, 1844~1900、ドイツの有名な哲学者)


■大切なのは疑問をもつことです。
『ソフィーの世界』は読者がそれぞれ大切なものを見つけるための本です。
いわば哲学への入り口にすぎません。
しかし、この本には、西洋哲学のことしか書いてありません。
日本の若い人たちには仏教や東洋の哲学を学んでほしいと思います。
(『ソフィーの世界』の著者ヨースタイン・ゴルデル)



■今日、英訳を通じて、はじめて東洋の聖者親鸞を知った。
もし、十年前に、こんな素晴しい聖者が東洋にあったことを知ったなら、
私はギリシャ語や、ラテン語の勉強もしなかった。
日本語を学び、親鸞聖人の教えを聞いて世界中に弘めることを、
生き甲斐にしたであろう。だが、おそかった。

自分のそばには日本の哲学者や思想家が三十名近くも留学していたが、
誰一人、日本にこんな偉大な人がおられたことを聞かせてくれなかった。
日本の人達は何をしているのだろう。日本は戦に敗けて、
今後、文化国家として世界文化に貢献すると言っているが、
私をして言わしむれば、立派な建物も美術品もいらない。
何にもいらないから、親鸞聖人の教えを世界に宣伝して頂きたい。
商売人、観光人、政治家であっても、日本人に、ふれたら何かそこに、
深い教えがあるという匂いのある人間になって欲しい。
そうしたら世界の人々が、この親鸞聖人の教えの存在を知り、
それぞれに聖人の教えをわがものとするであろう。
その時、世界の平和の問題に対する見通しが始めてつき、
二十一世紀文明の基礎がおかれる。

(20世紀最大の哲学者、ハイデガー)







今日から3日間のお申し込みをお受け致します。

お申し込みされた方に、
メールにてお布施のお振込先をご案内致します。




最後になりましたが、
ここまで、8日間のメール講座を通じて、
かなりの量の文章を読まれ、また音声を聞かれたことと思います。

お釈迦様は、「財は一代、法は末代」と言われました。

お金や物は、その人をしばらくは幸せに致しますが、
やがて身から離れて、離散してゆくものです。
一方、お釈迦様の教えは、一度その方の血となり肉となられば、
ずっと、ずっとその人を幸せに生かすのだと教えられております。

ただそれも、因縁がなければ、
どれだけお気持ちを持っておられても、叶わないことです。

ちょうど、ビルの5階の窓から落とした葉は、
やがてどこかの地面に落ちましょうが、
どこに落ちるかは、わかりません。

もちろん、因果の道理に狂い無しですから、
その場所に葉っぱが落ちたのには、
必ず、原因があります。

それ相応の原因がなければ、
ありえないことなのです。

でも、その葉っぱを再度5階の窓から落としたとて、
同じ地点に落ちることは、まず無いでしょう。

何か好ましいチャンスが、今目の前にあったとして、
おそらく同じ形で2度とそのチャンスが巡ってくることは
ないでしょう。

「一期一会」という美しい言葉があります。

今日の出会いが、最後の出会いになるかもしれない。

私もそれを忘れてはならないと思います。



お釈迦様は、世に3種類の長者があると説かれています。

1つに、家の長者。
2つに、身の長者。
3つに、心の長者です。

家の長者とは、家財道具や財産などに恵まれた人。
それらに恵まれれば、豊かな暮らしが待っているでしょう。
しかし、火事や災害によって失ったり、盗賊や泥棒に
盗まれたりする不安からは、免れられません。

身の長者は、健康に恵まれた人です。
何がとりえと言って、健康が一番と言うのも判ります。
何が無くても、健康さえあれば、人間いつでもやり直せるように、
何でもできるように思えます。
ところが悲しいことに、人間は病の器。いつどうなるか分からぬ不安は、
どんな屈強な人でも決して無くなることがありません。

最後、心の長者とは、心の宝を獲て、
「本当の幸せ」に生かされた人のことです。
そんな人は、一切幸せを盗まれたり、失ったり、亡くしたりする不安なく、
永遠に満足に生かされますから、これが一番よいと、
お釈迦様は言われたのです。

願わくは、お読みのあなたが、一層仏縁を深められ、
心の宝を獲る「本当の幸せ」に向かっての一歩を
踏み出されることを念じて、擱筆したいと思います。





それでは、大切なお身体くれぐれもご自愛くださいませ。

敬具